暗殺教室(18) 感想
ひゃああああああああああああああ
やばい、烏間超カッコいい…(悲鳴
完結に向けて箸休め的なお話でしたね。
宇宙に出かけていったのでしばらく宇宙パートなのかなーと思ったら…。
こちらについては割とあっさりと片付きまして、18巻の中心はバレンタイン。学生一大イベントを巡って繰り広げられる恋愛模様なのでした。
いやあ…。
ほのぼのするなあ。癒やされるなあ。
岡野ちゃん可愛すぎかよ~。はやく(CV.みにゃみ)でこのエピソードを見たいぞ…。既に脳内再生の準備はできているぜ。
、
、、
、、、
それにしても岡島ァ…!
なに大切なことをバラしてんだこのデコ助野郎…!!
本当にエロくて根性なしで優柔不断で、ついでにスケベといいことねえなあ。バレンタインなのにチョコレートを一つたりとももらえなかったのは、残念でもないし当然。彼らしい最期といえる。
でも好き。神崎ちゃんはなんだかんだ岡島が射止めて欲しいと僕は密かに思っているよ。
あー。なんだろうこの不安定な空気感。
きっと、中学3年生にとってのバレンタインって特別なイベントなんですよね。
近づく卒業と受験への不安を背景に繰り広げられる恋愛パートは、どことなく物悲しい雰囲気でした。
「渚も受けたいところあるんだよね」
「うん…」
次第に色濃くなっていく別れの予感に、渚はうつむき加減で呟く。
「…お別れだね、もうすぐ」
茅野も杉野も口元だけが笑っていた。(暗殺教室18巻「超先生の時間」より)
ついに彼らも暗殺教室を卒業するのだなあ…。
うう…。ウルって来ちゃった( ;∀;)
「安達としまむら」感想
かえるが生きている。
いま借りている部屋のお向かいさんにあたる田んぼでは、かえるが生きていた証を示そうと必死に鳴いているところです。
ただ僕は「かえるだって必死なんだなあ」というありふれた感慨をわざわざブログにするほど感受性は豊かではなくってですね。何が言いたいって、何者かのひたむきな姿勢を見ていると人は感動するか萌えるかの二択しか用意されていないのであって、それは根源的な感情ではあるかいかということを言いたかったのです。だってかえるにだって萌えるんだもん。
ついに
今日「安達としまむら」の6巻を買いました。
で、普通の流れなら6巻の感想について書きたいところなのですが、シリーズに対する評価をちゃんと書いておきたかったのでまずはこちらを。
入間人間は人間ではない
安達としまむらはとてつもなく面白くない話です。
だからこそ先が読めないラブコメである、と言えると思います。
あまりにも日常的すぎるのです。リアルすぎるというか残酷すぎるというか。まあとにかくよくもまあここまで面白くもない話を書けるものだと、入間人間という作者さんには本当に感心してしまいます。
別に貶してるわけじゃないんですよ。普通は物語的な面白さを優先して、作中の現実を我々の現実から遠ざける選択肢を取ってしまいがちなところを、妥協せずにしっかり踏みとどまって書ける作家さんだってことです。
大雑把に作品紹介
安達としまむらは、とても不器用な女の子の話です。
あるところにしまむらという自己主張のない女の子がおりまして、その女の子に何となしに恋惹かれる安達という少女がいるのでした。その恋はレズとか百合というほどガチではないし、かといってゆるゆりと言うほどおちゃらけてもいない。
で、安達のことをしまむらが徐々に好いていけばそれで万事解決なのですが、現段階でしまむらは安達にそこまで気を許してはおりませぬのです。
しまむらという子はどちらかというとクールでドライなタイプです。それは彼女がそうありたいからそのような人柄になっているのではなくて、人との距離感を上手に測れない人なのです。ほんわりと人を遠ざけるところがある。器用だとか不器用だとか世渡り上手とか下手だとかいうよりかは、つかみどころのないという表現が一番彼女を的確に表現できると思います。
飛び込んでいけば誰でも受け入れてくれそうで、実際はなかなか仲良くなれないタイプの子です。猫っぽいです。
一方で、そんなしまむらに好意を寄せる安達という子は、感情表現が絶望的に下手くそな子です。クーデレとかツンデレといった部類なのですが、好きなもの以外にはとことん無関心で、やんわりと人を遠ざけるような器用な真似が一切できない。不器用な部類です。だれとも仲良くできなそうな子で、実際ほとんどそれは当たっているが、一度仲良くなれればちょろいタイプです。しまむらは猫だとしたら、安達は犬っぽいかな。
しまむら=猫
安達=犬
安達としまむらの二人はたいたい同じくらい無口で、だいたい同じクラス内ヒエラルキーに居る間柄です。あと授業をふらふらとサボるところがあります。共通点がないことないのですが、結局のところ、二人は他人としては当たり前に似ていないっていう感じです。似てないって断言するほどでもないけど、やっぱり他人、みたいな。少なくとも趣味とか思考とか性格とかそういう部分に関してはほとんど一致していない。
で、一番よく似ていないポイントは、二人のお互いに対する想いです。しまむらは安達のことを「それなりの友達」と思っている段階ですが、安達はしまむらのことを「唯一無二」くらいの存在と感じています。好意のレベルがぜんぜん違うのですね。
この好意レベルの差はなかなか変わらない。
むしろその差は広がっているといえるでしょう。しまむらが安達のことを好きになっていくスピードよりも、安達がしまむらのことを好きになっていくスピードのほうが早いからです。
こういった好意の非対称性は、同性同士の関係に限らず、ごくごくありふれた残酷な話ですが、物語としては…ラブコメとしては…「二人の恋模様を描いた物語」としてはほとんど進行していません。じゃあ、別の主題があるのではないかな、と考えるのが筋かもしれないのですが、僕の見る限りこの物語の中心はどうあっても「二人の恋模様」です。
そしてこれは僕の直感ですが、二人の恋模様がなかなか描かれないもどかしさが、この物語の原動力だと思うのです。物語的なカタルシスっていうのがほとんど用意されていないからこそ、この物語から目が離せないところがあります。
次回予告
次は6巻の感想を書こうと思ってたんですけど、ここまで書いてたら5巻の感想を書きたくなってきたんだぜ…。なんで1~4はダイジェストのくせに5巻からの感想書くのかというと、ここがこの物語のターニングポイント的なサムシングだからです。
ここまで書いておいてなんですけど、4巻までの「安達としまむら」は、恋心を自覚した安達がそのコミュ障っぷりを発揮するだけの話です。…もっとマシな言い方をすれば、あだしまの1~4巻は安達の淡い恋心を微笑ましくコミカルに描いた作品だったと言えるでしょう。ほのぼの系といっても嘘ではない、と思う。
しかしですね。この5巻ではついに安達氏がやっべっぞ!!(C.V.ナダル)しちゃいます。やっぱ5巻の感想もかきてえ…。
ご挨拶、タイトル、抱負、
みなさん、ごきげんよう。
>ブログをはじめた理由について
「細かいことはともかく、とりまブログはじめるか~」くらいの気持ちでやってます。理由は明快で「あ~、この感動を誰かに伝えてえ…」と思ったときにお話できる友達が居ないからです。
うわあ、自分で言ってて超寂しい。
申し遅れましたワタクシ、ピカットと申します。24才。大学入る前に二浪しているので、大学を卒業したタイミングで24才でした。あだ名はおっさん。マーくん世代だという噂がまことしやかに囁かれた件については未だに友人を恨んでいる。座右の銘は「出る杭は打たれる」
今年の3月に無事そこら辺の大学を卒業しました。ピカピカの新卒一年生。何のお仕事をしているんですか、と聞かれて「自分でもよく分かんないんですよね」って答えるのが夢。なんか大物感があっていいよね。糸井重里さんあたりが言ってそう。
実際の僕の仕事は割と何をしているのかハッキリしているのでちょいと悔しい今日このごろです。いつかは「何でも屋っていうか~、自分がときめく方向に進んで行ったら人様にうまく説明できないお仕事になってましたね~」みたいなことを語れる大人になる。そしてたぶんこういうことを自分で言っちゃう人はそういうビッグにはなれない。
閑話休題。この期に先日、大学のあった川崎から地元である仙台に引っ越すことになりました。いわゆる「環境の変化」ってやつです。ゴミの分別が仙台市のほうが細かいとか近所のスーパーがちょいと高いとか仕事がはじまったとか変化はたくさんあるんですけど、目下直面している決定的な打撃は、遊んでくれる友達が居ないってことです。
友だちがいないんです。
昔の友達を大事にしてこなかった弊害かいま現在、趣味のお喋りができる友達がまったくおらんのです。すっからかんです。しかたねえ、友達は消耗品だからな。マツモトキヨシに売ってればいいんだけどさあ、
友達が居ない=趣味のお話ができないマン
↓
つらたん
というわけで、僕の中で行き場の失った「この感動を誰かに伝えてえというパッション」=「ときめき」に居場所を与えてやりてえなあって思って、このブログつくりました。モチベーション自体は極めて単純。人間って単純なモチベーションほど維持しやすいし、単純なことは良いことだ。複雑なモチベーションってのは、メンテナンスが大変なんだ。*1
>ブログのタイトルについて
「さきわう(幸わう)」とは豊かであるとか恵まれているの意味。大抵「言霊幸わう国」という文脈で用いられることの多い言葉です。
「ときめき」を伝えたいという思いから始まっているブログなので、タイトルには必ず「ときめき」って言葉は使おうと思ってました。あと、ひらがな四文字にどことなく萌えてしまうのが我々の世代(※ピカットは90年代前半の生まれ)のオタクの悲しき性なのです。ほらほら「みなみけ」とか「けいおん!」とか「よつばと!」とか「らき☆すた」とか枚挙に暇がないんだぜ。ここらへんのアニメ群が僕らの青春エネルギーを根こそぎ食ってったよね。いや、らきすたとかけいおんとか正直あんまりまともに見てないし、そんなことはどうでもいいし、僕の青春エネルギーとか放っといてもどうせろくな使われかたしなかっただろうから、むしろ萌えアニメに食われて本望だってところもあるんだけど。
閑話休題。「ときめき」がせっかくひらがな四文字なので、ということで「ときめき」とセットにしてちょうどいい感じでかつ和語でひらがな四文字が似合う感じの言葉を探していたら「お、いい感じの言葉があるじゃん」みたいな感じのフィーリングでこのブログのタイトルは決まりました。
「ときめき、さきわう、」
辞書とか類義語を無駄に眺めるのが好きなワナビー精神が未だに抜けていないんだ。大丈夫、あの偉大なスピッツ先輩だって元々はドイツ語辞典を眺めてバンド名決めたって言ってた。
ワナビ精神ついでにもう一つ付記しておくならば「、」で終わらせたのは
「「。」より「、」のほうがこれからどんどん続いていく感じがして、どこか優しい雰囲気がしない?」
みたいなフィーリングによります。「。」って可愛いんだけど、なにか断言されてしまっている感じがちょっと気に食わないというか、そこで文章絶対終わらせるマンの気合を感じて、ちょっと厳しい感じがします。ついでに「~っていうかー、」「~でさー、」「だよねー、」みんな尻切れトンボです。不安定だけど、必ずしも主導権を握っていない優しい感じがよいよね。
閑話休題は本日二回。
*1:ここまで僕の文章を見てると何となく察している方もおいでかと思いますが、もっともらしいことをなんの根拠もなしにほざくブログです。