ときめき

好きについて語ること、それは自分を語ること。

ご挨拶、タイトル、抱負、

みなさん、ごきげんよう。

 

>ブログをはじめた理由について

「細かいことはともかく、とりまブログはじめるか~」くらいの気持ちでやってます。理由は明快で「あ~、この感動を誰かに伝えてえ…」と思ったときにお話できる友達が居ないからです。
うわあ、自分で言ってて超寂しい。


申し遅れましたワタクシ、ピカットと申します。24才。大学入る前に二浪しているので、大学を卒業したタイミングで24才でした。あだ名はおっさん。マーくん世代だという噂がまことしやかに囁かれた件については未だに友人を恨んでいる。座右の銘は「出る杭は打たれる」


今年の3月に無事そこら辺の大学を卒業しました。ピカピカの新卒一年生。何のお仕事をしているんですか、と聞かれて「自分でもよく分かんないんですよね」って答えるのが夢。なんか大物感があっていいよね。糸井重里さんあたりが言ってそう。

 

実際の僕の仕事は割と何をしているのかハッキリしているのでちょいと悔しい今日このごろです。いつかは「何でも屋っていうか~、自分がときめく方向に進んで行ったら人様にうまく説明できないお仕事になってましたね~」みたいなことを語れる大人になる。そしてたぶんこういうことを自分で言っちゃう人はそういうビッグにはなれない。

 

閑話休題。この期に先日、大学のあった川崎から地元である仙台に引っ越すことになりました。いわゆる「環境の変化」ってやつです。ゴミの分別が仙台市のほうが細かいとか近所のスーパーがちょいと高いとか仕事がはじまったとか変化はたくさんあるんですけど、目下直面している決定的な打撃は、遊んでくれる友達が居ないってことです。

 

友だちがいないんです。

 

昔の友達を大事にしてこなかった弊害かいま現在、趣味のお喋りができる友達がまったくおらんのです。すっからかんです。しかたねえ、友達は消耗品だからな。マツモトキヨシに売ってればいいんだけどさあ、

 

友達が居ない=趣味のお話ができないマン

つらたん

 

というわけで、僕の中で行き場の失った「この感動を誰かに伝えてえというパッション」=「ときめき」に居場所を与えてやりてえなあって思って、このブログつくりました。モチベーション自体は極めて単純。人間って単純なモチベーションほど維持しやすいし、単純なことは良いことだ。複雑なモチベーションってのは、メンテナンスが大変なんだ。*1

 

>ブログのタイトルについて
「さきわう(幸わう)」とは豊かであるとか恵まれているの意味。大抵「言霊幸わう国」という文脈で用いられることの多い言葉です。

「ときめき」を伝えたいという思いから始まっているブログなので、タイトルには必ず「ときめき」って言葉は使おうと思ってました。あと、ひらがな四文字にどことなく萌えてしまうのが我々の世代(※ピカットは90年代前半の生まれ)のオタクの悲しき性なのです。ほらほら「みなみけ」とか「けいおん!」とか「よつばと!」とか「らき☆すた」とか枚挙に暇がないんだぜ。ここらへんのアニメ群が僕らの青春エネルギーを根こそぎ食ってったよね。いや、らきすたとかけいおんとか正直あんまりまともに見てないし、そんなことはどうでもいいし、僕の青春エネルギーとか放っといてもどうせろくな使われかたしなかっただろうから、むしろ萌えアニメに食われて本望だってところもあるんだけど。

閑話休題。「ときめき」がせっかくひらがな四文字なので、ということで「ときめき」とセットにしてちょうどいい感じでかつ和語でひらがな四文字が似合う感じの言葉を探していたら「お、いい感じの言葉があるじゃん」みたいな感じのフィーリングでこのブログのタイトルは決まりました。

 

「ときめき、さきわう、」

 

辞書とか類義語を無駄に眺めるのが好きなワナビー精神が未だに抜けていないんだ。大丈夫、あの偉大なスピッツ先輩だって元々はドイツ語辞典を眺めてバンド名決めたって言ってた。


ワナビ精神ついでにもう一つ付記しておくならば「、」で終わらせたのは

「「。」より「、」のほうがこれからどんどん続いていく感じがして、どこか優しい雰囲気がしない?」

みたいなフィーリングによります。「。」って可愛いんだけど、なにか断言されてしまっている感じがちょっと気に食わないというか、そこで文章絶対終わらせるマンの気合を感じて、ちょっと厳しい感じがします。ついでに「~っていうかー、」「~でさー、」「だよねー、」みんな尻切れトンボです。不安定だけど、必ずしも主導権を握っていない優しい感じがよいよね。

 

 

閑話休題は本日二回。

*1:ここまで僕の文章を見てると何となく察している方もおいでかと思いますが、もっともらしいことをなんの根拠もなしにほざくブログです。